他の人と比べても辛い気持ちになるだけなのに、どうしても比べてしまう。。。

そのせいでいつも沈んでしまって、不幸のスパイラルにハマっている気がする。

もし他の人と比べなくなって自分は自分で生きれればどんなに楽だろう。

とお思いの方は多いのではないでしょうか。

ここでは他人と比べる心の仕組みとお勧めの考え方・対処法について独自の視点からまとめましたので、このような悩みをお持ちの方々はぜひご参考ください。

 

心理的な理由

では、まずその心理的な理由についてシンプルに説明します。

なぜ他人と比較してしまうか、そしてなぜどうしてもそれがやめられないかと言えば、それには大きく2つの要因があります。

 

環境的要因

一つは環境です。

育った環境というのは人格、というよりは価値観の形成に大きく影響します。

たとえば他人を比較して優劣ばかりを意識する家庭に育てば、自分にもその価値観がインプットされて当たり前のようにそう考えるようになります。

医者や弁護士、あるいは高学歴等の家庭は特に優劣を意識する傾向がありますが、逆にそういった社会的な地位が高いと言われる職に対してコンプレックスを抱いている親が、子供に対して「勉強ができないことはどうしようもないこと」として、他人と比較する価値観を植え付けるケースもあります。

 

遺伝的要因

もちろん、環境だけで決まるとは限りません。

もう一つの大きな要素が遺伝です。

たとえ同じ環境で育った兄弟であっても性格が全く違うことが普通なように、遺伝と性格の関係というのは切っても切り離せないものです。

つまり、どうしても他人と比較してしまう癖が環境によって植え付けられた価値観から来ている場合と、もともとの性格から来ている場合がある、と考えられるわけです。

 

他人と比較する癖を直すには?

そもそも、他人と比較することに対して別に問題意識を持っていない人もいます。

それはそれで一つの考え方ですししっくり来ているなら全然良いのですが、もしあなたが他人と比較してしまうことですごく苦しんでいて、それ今すぐにでもやめたい、と感じているなら、そのための努力をする必要があります。

ですが上で挙げたように環境から来ている場合と性格から来ている場合があり、もし性格からなのであれば問題の根本的な解決は不可能かも知れません。

ただ誰でも大なり小なり他人と比較する心は持っているので、結局は程度問題でもあるのです。

ですから大切なのは、今よりも良くしようと考えること。

何もしなければ今のまま時間だけが過ぎていくわけですから、それこそ人と比べるのではなくて自分の中で自分のできることをやって、自分を変えていったら良いのです。

それでは、以下に直し方として参考にしてほしいことを挙げていきます。

 

他人と比較するにはメリットがある

まず一つ知っておいて頂きたいのは、他人と比較する行為にはメリットもあるということです。

他人と比較するからこそ自分に不足している部分がはっきりと見え、それを補おうと努力をするからです。

もちろん比較をしなかったとしても自分の悪いところを努力して改善しようとすることはできますが、比較した方が改善しようというエネルギーは強くなります。

自分の悪いところを改善していけば、あらゆる意味で自分の人生はどんどん開けていきます。そうなれば今自分が描いている夢も叶う日がくるかも知れません。

つまり世間では他人と比較する癖は不幸になる病気として形容されることもありますが、全くそうとは限らないのです。

なので本当は別に比較することを直す必要は必ずしもないのですが、それでも自分が苦しくて耐えられない、心のバランスがおかしくなっていると感じる人は、それを変える必要があるかも知れません。

いずれにしても、自分がどうしても他人と比較してしまうからといってその癖そのものを完全に否定し、そして自分を否定するようなことはしないでください。

 

他人の否定が心に与える影響

他人と比較する際において何が一番の問題かと言えば、それは「他人を否定する(ジャッジする)」行為をしてしまうことです。

たとえば勉強ができない子を馬鹿にすれば、自分が勉強がもっとできる子から馬鹿にされているのではないかと考えるようになります。

つまり人間の心は他人と自分を区別しないので、人を差別すれば自分にも差別するようになる、言い換えれば同じように自分もジャッジするようになるのです。

ですから、まず大事なのはその人の能力を認めて、応援してあげることです。

ここでよく勘違いをする人がいるのですが、これはあくまで純粋にその人を尊重する気持ちを持つことが大前提になります。

「駄目な人だけど可愛そうだから応援してあげる」等と上から目線で見下すような気持ちを持てば、また同じように自分自身も見下されていると考えるようになります。

あともう一つ重要なのは、直接的には関係なくとも他人を否定する行為自体が良くないということです。

たとえば罪人を否定するのは全く間違いではないのですが、この否定の行為も自分の他人と比較する癖を助長してしまいます。

表面的にはとんでもない悪人にしか感じられなくても、その気持ちを強く持ち、その人の行為、あるいは人格を強く否定すればするほど自分に対しても同様に許すことができなくなったり、何かにつけてジャッジする癖が付いてしまうのです。

それを防ぐ方法として意識するべきポイントは、否定の中にどれだけ許容と励ましの気持ちを含められるかです。

たとえば罪人のケースで言えば、私たちは罪人がなぜ大きな罪を犯すに至ったかを考える必要があります。

たとえ重い罪を犯しても、きちんと懲役何年という形で償なったならあとは切り替えて、気持ち新たに生きれば良い。といった具合です。

ここで「それは難しい」とか「極悪人を許す必要はないんじゃないか」という意見もあるでしょうが、それはそれで正しいでしょう。あくまで自分がどこにラインを引くかであり、自分が良いと思えばそれでOKです。

そこでどっちが正しいとか良い出したら、それそのものが他人と比べているのと等しい行為になってしまいますからね。

ただもし今、自分の生き方がどこか息苦しいのであれば、より穏やかな考え方の方が合っているのかも知れません。

 

意識を持ちながら過ごす

何が問題かをはっきりと理解したら、あとはその意識を常に持ちながら日々を過ごすことです。

意識をしていなければ、たとえば自分が他人を見下した際にも何も思わずスルーしてしまうので、また同じことを繰り返します。

ついついしてしまった、と思えば次はやめようとか、もっとこの人の頑張りを認めるような考え方をしようと思います。

それでもずっと同じことを繰り返してしまうこともあります。

その中でどうしたらこのやめられない癖をやめられるのか、と葛藤することになりますが、大丈夫です。

その葛藤を繰り返す中で少しずつ他人をジャッジしない人間、もとい比較しない人間になっていきます。

このプロセスの中で、何事であっても自分を変えることがどんなに大変かを身を以て理解し、自然と他人に対してももう少し寛大になれるようになれます。

ここで苦しみはあるかも知れませんが、これは健全な苦しみです。

ですからむしろ前向きに受け止め、諦めずに継続することを常に意識してください。

そして同時に、「自分のペースで良い」という考えを忘れないでください。

 

まとめ

他人と比べる癖というのは、それ自体が悪いというわけではなくて、そこに見下し等のネガティブな感情が含まれるから悪いのです。

つまり他人と比べても純粋な競争心としてお互いを励まし合える関係であれば、それは健全です。

もちろん比較・競争する中で健全な心を持ち続けることが大変だからみんな苦しむわけなので、あくまでそれを理想として、自分なりのペースでその理想の精神状態に近づけるように日々意識して過ごしていってください。

もしかしたらそのプロセスは当たり前のように比較していたときより辛いかも知れませんが、もし努力をしなければ何年後も同じ自分です。何事にも言えることではありますが、自分を成長させていけばいくほど、人生はもっと生きやすく、楽しくなります。